◆
神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇第二皇子、忍熊王が賊徒討伐の際、素盞鳴大紳の御神助を得て平定されたので、王がその神恩報謝のため織田の地に社を営み、それまで座ケ岳(当社、北に位置)の峰に祀られていた素盞鳴大榊の御紳霊を“劔大明神”と仰ぎ奉られたのが当社のはじまりと、社記は伝えています。
奈良時代より祈願の霊場として朝廷をはじめ多くの人々から厚い信仰を受け、現在所蔵する国宝の梵鐘は第四十九代光仁天皇による御奉納といわれています。中世以降武門の崇敬も厚く、特に織田信長は氏紳の社と崇め、格別の信仰をもって神領を寄進し神社を保護しました。
江戸時代後期には伏見宮家の祈願所と定められ、拝殿の御寄進をはじめ厚いご
尊崇をうけて今日に至っています。越前国二の宮として、一の宮の気比紳宮と共に、福井県民はもとより県外の方々の信仰も厚い神社です。